写真 1

去年の忘年会を、綱島にあるラジウム温泉 東京園で友人とやりました。
友人曰く、「最高の宴会場!」

初めて訪れたときは、カルチャーショックというか、
タイムスリップしたような気持ちになりました。
そこは、まさに「昭和」

wikipediaによると、
綱島温泉の歴史は古くむかしは80軒もの宿泊施設のある、温泉街だったそう。

新幹線の開通により、熱海や伊豆などにも日帰りでいくこともできますし、
箱根もあります。そんななか、やはり、衰退していくこととなり、
現在は宿泊施設はなくなり、
日帰りの温泉施設があるのみとなっていました。


数日前に、その東京園がなくなってしまったとのニュースを聞き、
とても残念におもい、
去年いちど訪れた時の写真を眺めながら振り返っています。


入場料をはらって、まずは大宴会場へ。
こちらは売店もありますが、持込自由です。
お酒やお弁当をおのおのにもった人々がもうすでにたくさん集まっていました。
わたしたちも、昼から持ち寄りのおかずをならべて、忘年会をスタート。

宴会場にはステージにカラオケがおいてあります。
ご年配の方がどんどん曲をいれていきます。
それをはじめは眺めつつ、よく見ていると、
盛り上がるとみなさんステージにあがって
社交ダンスを踊り始めるのです。
それがとてもとてもたのしそうで、
だけど、盛り上がらないとステージには上がって来てくれないのです。
なんともシビアな世界。笑
(氷川きよしのずんどこ節のときは、ステージから溢れんばかりのおおきな円になっていました!)


写真 3

とにかく、ご年配受けする曲を。。。とおもうのですが、
なかなかわたしたちのなかからは反応を得ることができず、ステージはいつもぽつんでした。
しかし、宴も進み、次第にステージにあがってきてくれるようになり、
それがとてもうれしくて、うれしくて。
生き生きとした顔で、お歌をうたったり、ダンスをしたり。
ここは本当に社交場なんだなと、
初めての経験に、終止顔がほころんでいました。

遅れて来た、昭和大好きボーイの夫は、園まりを選曲。
すかさず、知らないおばあさまが「デュエットしたい」とのこと、
一緒にうたっておりました。さすがです。昭和ボーイ(いや、いまは昭和おじさん)

いつも、同じ世代、同じメンバー、同じことをしているようにおもう日々のなか、
こうして、違う世代、初めての人、全く違うことをすることの新鮮さ、
そして、どこか感じる懐かしさ。

わたしは、昭和53年生まれです。
もう、昭和も後半、昭和よりも平成の方が長い世代ですが、
やはり、20代のひとよりも、
昭和に対する思い出があるとおもいます。

子供の頃にみた、懐かしの昭和番組の特集。アニメだったり、美空ひばりだったり。
もちろん、それらは実体験がないので、想像だけですが、
おばあちゃんが手仕事をしながら流れるラジオの音だったり、
ショッピングセンターにならぶ造花のオブジェだったり、昭和をすこしは感じて来た世代です。
そんな、遠き記憶がすこし甦るような時間。

それを懐かしく、愛しくおもったとき、
ふと、やっぱり寂しんだなとおもいました。
子を持つまでは、家族よりも自分、
結婚したときは、自分より少し大切な伴侶が増え、
それでも、軸はいつも自分でした。
もちろん、親のことを思いやる気持ちを持つほどに大人にはなれず、
家族と言うことをかんがえることって、あまりありませんでした。

子をもってから、自分より大切な軸ができて、
振り回されつつも、愛しい日々となりました。
親になって、親の気持ちがわかる。
親のこと、祖母祖父のこと、家族のこと。
いまは、離れてくらしています。
もちろん、ご近所付き合いもあまりないです。核家族です。
同世代とのたのしみはいろいろあります。
でも、この、なんというか、おおきな家族、
自分とのつながりある人との疎遠さに、少々寂しさを感じていたのです。
気持ちは近くにありますが、距離の遠さは、なかなか埋まりませんね。

宴会場であったご年配の方は、多分もう二度とあうことはありません。
実際、顔ももうほとんど覚えていません。
しかし、交わした言葉、あの空気は、また思い出します。
「子供はね、がんじがらめにしたらだめだよ、自由に自由に」

あの、酔っぱらったおっちゃんがいった、軽い一言。
きっと普段は寡黙なんじゃないかと想像されるけれど、
はじけんばかりの宴会芸を披露していました。
底抜けの明るさは、お酒の力はもちろんありますが、
なんだか生き生きとしていて、きらきら輝いていた様に思えたのです。

写真 2

日々は、いろいろあります。
笑える日ばかりじゃない。
だけど、こうして見ず知らずのひとと、思いっきりわらったり、
踊ったりしたこと、とっても大切な思い出です。

きっと忘れないし、いつか復活してね、東京園。